2008 年 2 月 のアーカイブ

みうらかずよし

2008 年 2 月 25 日 月曜日

うちで「みうらかずよし」のオフィシャルサイトやってるんですが、「ニュース見たけど大丈夫!!?」という連絡をいただきました。最初「えっ!!!」と思ったのですがニュースを確認して一安心!?
同じ韻ですが、一緒にやってる「カズ」は↓の方です。
kazu.jpg
【三浦知良(みうらかずよし)】
プロサッカー選手。〈カズ〉の愛称で親しまれる。静岡県生れ。高校中退後ブラジルに単身留学し,のちプロサッカー選手として活躍。帰国後はヴェルディ川崎に所属し,日本のサッカー・ブームの立役者となった。1994年アジア人としては初めて,イタリアのプロサッカー・リーグのセリエAでプレーする。1996年度Jリーグ得点王。1990年,1994年,1996年アジア大会,1994年,1997年W杯予選日本代表。(マイペディア)

イージス艦に詳しくなろう!

2008 年 2 月 20 日 水曜日

「イージス艦」というコトバを最近何回も聞きますが、何でしょう?と思ってJLogosで詳しくなりました。
【イージス艦(いーじすかん)】
米国が開発した最新鋭の防空ミサイル艦。ギリシャ神話でゼウスがアテナにあらゆる邪悪をはねのける盾(エイジス,AEGIS)を授けたことに由来する。
数百の目標を同時にキャッチし,追尾できるレーダー「SPY」,多数のミサイルを同時発射できる装置「VLS」などを備え,敵の航空機やミサイルによる攻撃から艦隊全体を守る。海上自衛隊は1995年度までの中期防衛力整備計画で4隻を発注,98年3月までに「こんごう」「きりしま」「みょうこう」「ちょうかい」の4隻を配備している。2001年度から05年度までの中期防衛力整備計画では,従来のイージス・システムに比べて防空能力を向上させた2隻の整備を計画。いずれも三菱重工業に発注した。(C)日経新語辞典
総合的兵器システム〈イージスAegis〉を搭載した護衛艦。200以上の目標を同時追跡でき,20程度の目標を同時に攻撃できるという近代的装備の大型艦(基準排水量7200トン)。海上自衛隊は米国からこのシステムを購入したが,艦体は国産で総費用約1500億円という高価さ。中期防衛力整備計画(2001年-2005年)で,海上自衛隊はイージス艦をすでに4隻就役させているが,この高価な艦で何を守るのかという疑問が出ている。(C)百科事典マイペディア
基準排水量7200t、満載時9500t、建造費1359億円という大型で高価な護衛艦。射程120kmのSM2MR対空ミサイル74発を搭載、同時に12発以上のミサイルを別々の目標(攻撃機や対艦ミサイル)に誘導できる。従来の対空ミサイル艦が射程30km余のミサイルを最大で同時に2発しか誘導できなかったのに比べ、能力は大幅に向上し、弾道ミサイルの監視にも活躍、弾道ミサイルに対抗するSM3ミサイルを搭載する計画で、現在ある4隻に加え、満載排水量1万tの艦2隻を建造中。(C)知恵蔵2007
【イージス・システム】
高性能の艦隊防空システム。イージスとはギリシャ神話の神ゼウスの着ていた胸甲のこと。レーダー覆域数100km以上で、海面から高高度までの広い範囲に飛来する多数の航空機やミサイルの同時攻撃に自動的に対処できるシステム。このシステムを装備する駆逐艦や巡洋艦をイージス艦と呼ぶ。日本では「こんごう」「きりしま」「みょうこう」「ちょうかい」の4隻の護衛艦がイージス艦である。基準排水量7250t,建造費1359億円。(C)有斐閣経済辞典第4版
※今回のイージス艦「あたご」は昨年できたものなので次回改版時に更新されます。

続・求めるもの

2008 年 2 月 15 日 金曜日

反応頂きましてありがとうございました。
もうひとつ大事な事がありました。これは人としてもとても大切なことだと思うのですが「謙虚さ」です。
自信満々なのは良いことだと思いますが、ピントがずれている、もしくは明らかに結果が伴わなそうなことの場合は注意が必要です。自信を持っている場合はマイナス要因を余り考えず大切な事を見落としがちなケースが多く、勢いで進むことが多いです。場合によっては反対意見を見下したり、分不相応なことを言ったりする場合もありました。
うまく行った場合はさらに勢いがつくのでこの傾向が強まり、うまくいかなかった場合はこっそり言い訳をしてなかったことにしようとします。
特に政治においては多くの人の幸せを考えるためには相当な理由が無い限り独断・独走は好ましくないと思います。また表面先行の人は表面的に分りやすい事を強調して、分り難いことはおろそかになりがちな傾向にあると思います。「変化」した感じを出してプラスなイメージを出す事は比較的容易ですが、マイナスを少なくするための作業は地味で難しいことが殆どです。一件分り難い事の方が問題の本質だったり、規模が大きかったりしますので、これこそ深い知見がないと見定めることは難しいでしょう。
・・・といっても最後に判断していくのは心も感情もある人間ですし、理想通りな振る舞いはできないと思いますが、特に政治家は多くの人の「命」を預かる非常に重要な任務という事をかんがみて、謙虚であって欲しいと切に願います。
謙虚であれば、勢いあまって他人を冒涜することも無いですし、たとえ自信があったことで失敗した場合でも、私たちの感情は悪い方にいかないと思います。
昔から思っているのですが「タレント議員」には非常に危惧しています。もちろんそうでない方もたくさんいらっしゃると思いますが「表面先行」「結果に責任を持たない」「弁が立つので一見すごくロジカルに思える」「政治経験などない」「謙虚でない」場合が多いのではと感じます。
最近ですと大阪NHKで「遅刻」と言われたことで腹を立て「NHKにはもう出演しない」と公言された方がいますが、確かにNHK側の担当者の問題もあったと思いますが、個人的な感情で、あまりにも「謙虚でない」立場は見ていてとても見苦しいです。また就任したばかりで予算に口を出したり、批判をしたり、まず現状がどうなっているかを知る期間として1年間を過ごして知見を深め、翌年の予算時に改革していくくらいが適当ではと思います。トップに立つ人としては不安で相応しくないと感じました。
バラエティ番組であれば「表面的」「弁が立つ」「経験がない」「謙虚でない」「責任持たない」は全く問題ないばかりか、そちらの方が目立って面白いので勝手にやって欲しいのですが、政治の場合は全く逆。政治とは「命」だと思います。政策によって自殺者が増えれば、間接的な「殺人」になりかねません。バラエティ経験者はそんなに急に切り替えられないでしょう・・・。これらの事は常に意識して欲しいと切に願います。

政治家に求めるもの

2008 年 2 月 14 日 木曜日

政治に期待できない今日この頃ですが、期待できるようになるために政治家に最低限守ってもらいたいことを書いてみました。
今の日本は民主主義なので51対49だと51が「正しく」て49は「間違い」となってしまう世界です。そもそも「最大多数の最大幸福」の追求ですから「多数派」につくのが有利な構造になっています。この構造自体を否定すると「反社会的」と言われてしまいますので(笑)、この構造のもとで少しでも良くなるために必要な事です。
こんな構造だから政治家は多くの票を集めたいために選挙のときには魅力的なことを並べ立てます。ほとんどが抽象論ですが、具体案を出すこともあるでしょう。そもそも具体案を出しても現実的にできるかどうか分らないケースが多いです。特に政治の素人が出す具体案は中身がなく非現実的の場合も多く、結果的に虚栄になるケースが多々あります(もちろん悪意を持って言ってるのではなく、善意で信じていたけど、現実を知って愕然とした、というケースであると思うのですが)。
私は、政治は「意思」ではなく「結果」だと思いますので、その視点から見ると結果的には「詐欺」とも言えなくないように感じてしまいます。だからこそ公約などを掲げる場合に、余りにも革新的な事をいう人は信用できませんし任せられません(歴史的にそういう事が実際多かったですし)。ですので弁が立つ人ほど中身(言動の変遷)を注意して見ていますが、恣意的で自己矛盾を抱えられてる方が多いです。
政治家に期待することは「結果」つまり「言動一致」につきます。きちんと自分が公言したことをHPなどで明記し、それぞれについて分りやすくきちんと検証してもらえるような方になって頂きたいと思います。
そしてマスコミがきちんと「公約違反時の責任追及」を進めれば、言動不一致は少しでも減るのではと思います。

書いてて思ったのですが、現実的に考えると今の選挙制度では立候補者の人柄やその考え方が信用できるかどうかで投票していると思いますが、その人が約束を守れる人かどうかまでは分らないですし、何の責任も科されないですよね。ですので、簡単には実現できないですが公約違反や不正があったり、余りにも能力が低かったりした場合は、連帯責任として投票した人にペナルティ(次回の投票権が失われるとか)を科す仕組みなどがあると少しは改善するような気がします。
歴史・結果から学ぶものは大きいと思います。歴史・結果をきちんと残し、それをかんがみて新しい仕組みを考えていく、こういうサイクルで政治も発展していけたら、と切に願います。日本が世界に誇る科学技術においてはまさにこの仕組みで発展してきていますので絶対に実現できると思うのですが・・・。

「建国記念の日」って何?

2008 年 2 月 12 日 火曜日

2月11日は建国記念の日でしたが、これは何の記念?ということでJLogosひいてみました。
3つの辞書でhit。まとめると
【建国記念の日】
国民の祝日の一つ。2月11日。1966年制定。旧制度の「紀元節」に代わるもの。「日本書記」には神武天皇が即位した日と伝えられている。
ということで、「紀元節」をひいてみたら2件hit。関連部分を抜き出してまとめると以下のとおり。
【紀元節】
2月11日。建国記念の日の戦前の呼称。建国祭とも。明治時代に制定された、四方拝・天長節・明治節と並んで4大節として祝った祝日の一つ。1872年太政官布告で1月29日を神武天皇即位の祝日と定め、1873年に紀元節と命名、太陽暦に換算して2月11日を国家の祝日とした。1948年廃止されたが1966年建国記念の日として復活した。
・・・興味深いキーワードがたくさんでてきました。
【神武天皇】第1代天皇。別名神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)。実在は疑わしい。
【太政官布告(だじょうかんふこく)】明治初期、全国一般に達すべきものとして太政官が発した法形式。
【四方拝】年の初めに天地四方を拝して年災をはらい豊作を祈る儀式
【天長節】天皇の誕生を祝う日。天皇誕生日の旧称。
【明治節】戦前制定された明治天皇の誕生を祝う日。今の「文化の日」
・・・・・
ひけば引くほど奥が深くてきりがないのでこのへんで・・・。
で、建国されたのは何年かはわからず終い。ていうか第1代天皇の神武天皇の存在自体が疑わしいということは、どういうことか・・・。今の日本は何が根拠になっているのか?結構テキトーなのかもしれない。今の政治も同じようなものか・・・と考えさせられる日でした。

毒餃子報道:訳し方で大違い

2008 年 2 月 7 日 木曜日

以前から問題になっていた他言語の「日本語訳」が今回も猛威をふるっているように思います。
毒餃子報道では、中国高官が発言した内容がどんどん意訳されています。
・個人が意図的かどうか分からないが、なんらかの原因で毒物が一部商品に混入した可能性も否定できない
・個人が意図的に毒物を混入させた可能性もある
・誰かが意図的に毒物を混入させたと推測される
・誰かが意図的に毒物を混入、つまり食品テロかもしれない
これはすべて同じ発言から訳されたものです。下に行くほど悪意の意訳のようですが、、、特に言語文化も違う国の言葉を訳すのは、両国の文化を熟知した上でないと意訳はできないだけに、報道したい人の恣意によっていくらでもまげられてしまいます。この点は情報の受け手は強く意識しないと本質を見誤るのでは、と思います。

もうひとつ、昨日どこかの局で国産餃子工場の紹介をしていました。確かに新鮮素材を使って衛生管理をしっかりして「中国のと比べてこれだけすごいんです」ということを言おうと思って企画したのだろうと思うのですが、中国のと比べて何に気を使っているかの質問に、最後の社長の一言が「従業員との信頼関係です」とこたえていたのにはあまりに本質とずれていたのでは・・・

毒餃子報道といじめ

2008 年 2 月 5 日 火曜日

最近の毒入り餃子報道を見ていて「いじめ」と同じ構造に見えます。
もちろん過去の不祥事から考えて中国製品に対する不安は理解できるのですが、こういう問題(国交にも関係しうる問題)を思惑で議論していくのはとても危険です。もしそうでなかった場合には、相応の謝罪が必要なのはもちろん、それでも許されない事もあると思います。今の日本ではこれを謝罪することすら誰もが忘れてしまうのではないでしょうか。
今回の問題で特にやっかいなのが「もっともそれっぽい情報」によって多くの人々がコントロールされていることです。中国の野菜が農薬まみれだとか、工場で労使関係が悪化していたとか、農薬で大量死事件があったとか、日本には当該の農薬がないとか、それっぽい情報ばかりがどんどん集約され放送されます。それを見てると誰もが「今回の事件が起きても仕方ない環境だ」と思うはずです。
日本でも農薬の問題はありますし、労使関係が悪化して従業員が殺意を持っている会社もあります。毒入りカレー事件など、日本でも同じ事がいくらでもあります。毎日100人近くが自殺する国です。
また放送する時も「日本には存在しない農薬だから、日本ではあり得ない」ということをさらっと言いますが、どんなもの(大麻とか)でも悪意をもつ人間一人いれば手に入れることは簡単です。つまり全然「あり得なくない」のです。
視聴者が中国に対して不信感を抱いているときは、中国の落ち度を強調するとより多くの人が「共感」して見るので視聴率が上がります。視聴率を上げなければ事業として成り立たないテレビ局はそうせざるをえないのも理解できるのですが、視聴者がもう少し冷静に客観的にみる努力をすべきだと思います。
これはまさに「いじめ」の構造と同じです。誰かが言ったことが、事実関係を確認する前に思惑が思惑を呼んでどんどん膨らみ、誰かを悪者にしてみんなでバッシングする。反論しても聞く耳ももたない。最後は無視する・・・
こんな構造が今回の事件で見えました。
一歩引いて考えると、なぜ中国で生産しているのでしょうか。企業が儲けるために、コスト削減のため安い人権費の外国に作らせているのです。安いということはリスクがあり、そのリスクをどうヘッジするかは発注者の責任だと思います。日本と違う文化・主義・思想の国であるのは最初から分っているはずです。
「何事も種を蒔いた人が最も罪が重い」ということは理解できると思います。今回のケースは日本企業がまず最も非難されるべきで、その次は法律、そして安いものを求めて企業につくらせた私たち国民なのかもしれません。今や日本には中国製品が溢れています。服や食品や雑貨・・・それを否定することはできないはずです。
現実的には正義・真実からは離れてしまっている資本主義のこの世の中では実際多くの矛盾をはらんでいます。もちろん理想論は重要ですが、その理想論を偉そうに(上から目線で)言っている人や情報だけは見識を疑い、信用しないように意識しないといけないと思います。そうでないと本質を見誤ることになると思います。
最終的には自分で判断し、自分の身は自分で守る、そういう自立する意識が最も大切だと思います。