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運は実力じゃない!

よく「運も実力のうち」と言われますが、インターネットの発達によって「運は実力ではない」と感じることが多くでてくるようになりました。もちろん実力があるから良い「運」を招くことももちろんあります。しかしそれとは別の、実力とは関係ない「運」が増えてきました。

本質的には、言葉の捉え方で「運も実力のうち」と言えたりそうでないと言えたりいかようにもなります。
「実力」というのを「結果」という視点でみると「運も実力のうち」になります。何かに合格するとか、仕事で内定をもらうとか、成功を獲得した人がよくそう言われます。どんなに実力があったとしても結果が残せなければ「実力」と見られないこともよくあります。本当に実力のある人は結果を残す「確率が高い」だけで、実力がなくてもよほどのことがなければ確率はゼロではありません。

「実力」というのを「経緯」という視点でみるとそうでない事が多々起こりえます。例えば宝くじが当たるのはまさに「運」ですので、宝くじが当たった人が「実力がある」とは言われません。

この2つの中間層が今インターネットによって大増幅してきているように思います。たとえば1億人の国民が「日経平均の上がり下がり」を1か月分予測したとします。みんな独自の考えに基づいて予想したとしても、確率論では100人以上が20日分全ての上げ下げを的中できます。
この的中した人の中には、専門家で大量のデータをもとに予測した人もいれば、気分で決めた人も混在すると思います。結果さえ残していれば説得力があるように思われるのが自然ですが、専門家と普通の人で確率が若干変わるだけで「たまたま当たっただけ」です。ですので、その説得の根拠が正しいかどうかは全く分らないので注意が必要です。

こういってしまうと何を信じればよいのか!と思ってしまいますが、、、最初に戻りますが「実力」とは何かで考えると、「長期的な的中率」なのではないかと思います。

仮に(私のような)素人が日経平均を予想する場合は的中率はほぼ1/2(50%)とします。そして専門家や根拠をもって予測する場合が60%とすると、、、その差はたった10%としても、20日連続で当てる確率は300倍も開きがでてきます。

この考え方を人生に当てはめて、長い間選択の連続を繰り返していくとすると、1年・10年・30年と経験するたびに、その差は何百倍、何万倍、何億倍とひらいてきます。

1%であったとしても、地道に努力を重ね蓄積していくことが最も大切で、その努力の「継続」によって結果を残してきて、さらに今も努力を続けている人が「実力がある」人と思います。長期に渡って努力を続けることが深い信頼関係にも繋がります。

またそもそも「実力」とは何か、という解釈(定義)によっても違うので、ひとつ共通した定義、まさに「辞書」がちゃんとすることで、少しでもよくなればと願います。

世の中では、定義が異なることを前提とする議論が多すぎで、いつまでたっても平行線ですね。政治もそう、テレビもそう、、、、。


そんなことを考えながらむなしくなっている時↓をみると心がおちつきます。

※94歳になるおばあちゃんの手書きです
kojimaki.jpg

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2008年04月04日 18:15に投稿されたエントリのページです。

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