毒餃子報道といじめ
最近の毒入り餃子報道を見ていて「いじめ」と同じ構造に見えます。
もちろん過去の不祥事から考えて中国製品に対する不安は理解できるのですが、こういう問題(国交にも関係しうる問題)を思惑で議論していくのはとても危険です。もしそうでなかった場合には、相応の謝罪が必要なのはもちろん、それでも許されない事もあると思います。今の日本ではこれを謝罪することすら誰もが忘れてしまうのではないでしょうか。
今回の問題で特にやっかいなのが「もっともそれっぽい情報」によって多くの人々がコントロールされていることです。中国の野菜が農薬まみれだとか、工場で労使関係が悪化していたとか、農薬で大量死事件があったとか、日本には当該の農薬がないとか、それっぽい情報ばかりがどんどん集約され放送されます。それを見てると誰もが「今回の事件が起きても仕方ない環境だ」と思うはずです。
日本でも農薬の問題はありますし、労使関係が悪化して従業員が殺意を持っている会社もあります。毒入りカレー事件など、日本でも同じ事がいくらでもあります。毎日100人近くが自殺する国です。
また放送する時も「日本には存在しない農薬だから、日本ではあり得ない」ということをさらっと言いますが、どんなもの(大麻とか)でも悪意をもつ人間一人いれば手に入れることは簡単です。つまり全然「あり得なくない」のです。
視聴者が中国に対して不信感を抱いているときは、中国の落ち度を強調するとより多くの人が「共感」して見るので視聴率が上がります。視聴率を上げなければ事業として成り立たないテレビ局はそうせざるをえないのも理解できるのですが、視聴者がもう少し冷静に客観的にみる努力をすべきだと思います。
これはまさに「いじめ」の構造と同じです。誰かが言ったことが、事実関係を確認する前に思惑が思惑を呼んでどんどん膨らみ、誰かを悪者にしてみんなでバッシングする。反論しても聞く耳ももたない。最後は無視する・・・
こんな構造が今回の事件で見えました。
一歩引いて考えると、なぜ中国で生産しているのでしょうか。企業が儲けるために、コスト削減のため安い人権費の外国に作らせているのです。安いということはリスクがあり、そのリスクをどうヘッジするかは発注者の責任だと思います。日本と違う文化・主義・思想の国であるのは最初から分っているはずです。
「何事も種を蒔いた人が最も罪が重い」ということは理解できると思います。今回のケースは日本企業がまず最も非難されるべきで、その次は法律、そして安いものを求めて企業につくらせた私たち国民なのかもしれません。今や日本には中国製品が溢れています。服や食品や雑貨・・・それを否定することはできないはずです。
現実的には正義・真実からは離れてしまっている資本主義のこの世の中では実際多くの矛盾をはらんでいます。もちろん理想論は重要ですが、その理想論を偉そうに(上から目線で)言っている人や情報だけは見識を疑い、信用しないように意識しないといけないと思います。そうでないと本質を見誤ることになると思います。
最終的には自分で判断し、自分の身は自分で守る、そういう自立する意識が最も大切だと思います。